ポセイドンと喧嘩

今週のお題「急に寒いやん」

8月15日。この日が私の誕生日です。

もう夏も夏、夏真っ只中に生を受けました。夏生まれは夏に、冬生まれは冬に強いイメージがありますが、その逆で私は夏が本当に苦手です。まずシンプルに暑いのが嫌いというのもありますが、それ以前に身体が暑さに弱いため日光に当たるとすぐに真っ赤になってしまいます。日に焼けて黒くなるならまだしも、肌が真っ白な家系のせいもあって(あ、これゆきだいふくの由来です)寝返りどころか衣服が肌に触れるだけで激痛が走る、軽度の火傷の状態になります。というか、なんなら暑いお湯に浸かるだけで蕁麻疹がポツポツ出てくるので激弱のお雑魚ちゃんです。(温熱蕁麻疹というらしい)そして夏といえば海ですが…これはもう私の大敵です。大敵もなにも別に好きでもないしあんまり行ったことないんですけどね。なんと暑さで蕁麻疹が出てそれに加え海水の塩でその蕁麻疹が腫れます。小学五年生の時に臨海学校がありまして、そのときに発覚したんですけど結構グロいくらいポコポコと腫れちゃって驚きました。えっ、前世で海と揉めたん?ポセイドンと喧嘩した?って感じです。

 

なんや夏の話やないかい

 

って言われちゃいますね。

いやぁね、そんなこんなで、夏が嫌いだっていうシワ寄せが冬に来てるんだかなんだかわかりませんが、私とてもとても冬が好きなんです。昔からその傾向はあったんですが、なんかもう年々好き度が増し増しになっていくんですよね。もうWelcome Winter !! Love 冬 !! って感じで寒いだけでテンションめちゃくちゃ上がります。もちろんこんなんでも二児の母やってるので、そんなあからさまにウキウキはしませんよ?家の中でしか。内心冬の間は24時間「ゆきだるま つくーろー♪」って歌っちゃってます。

嘘です。本当はCHEMISTRYさんの「Winter LOVE」ってアルバムの曲と宇多田ヒカルさんのシングルコレクションのアルバムの曲です。

 

……。

 

今思い返してみると、人生の楽しかった思い出があるのって真冬ばっかりなんですよね。

友達の家で作ったカチカチのチョコレートケーキの味、ウィンドブレーカーのシャカシャカした音、キンキンの剣道場を開けたときの冷気の匂い、受験勉強の合間にコンポタを買いに行った自販機の灯り、コンビニの前にいる子猫の感触…冬は五感が研ぎ澄まされているのか、全部の感覚器官で覚えています。少し前に流行った?エモいってやつですかね。思い返すと、心がじわーっと暖かくなるのと同時に、もう戻れない寂しさのようなものも湧いてきます。どれもそのときには当たり前のことで、特別なことだとは思わなかったけれど、過去の思い出になった今やっと、当たり前ではなくてとても大切で限りある貴重な時間だったんだとわかりました。冬にはそうゆう思い出がたくさんある気がします。

いい思い出が多いから冬が好きだと思っていたけれど、それだけではないのかもしれない。きっと冬が好きだから小さい出来事もキラキラ光ってみえるし、キラキラ光ってみえるから冬が好きなのだろう。

 

そんなエモい冬が大好きな私は、毎年冬が過ぎてから次の冬までこの言葉を待ちわびている。

「急に寒いやん」

 

 

ポテトサラダ

今週のお題「いも」

 冷凍食品のハンバーグ、コーンクリームコロッケ、手作りの茶色い卵焼き。料理下手な私の母が作る、茶色一色の品数が少ないお弁当です。アルミに包まれた、クラスで一番を争う大きさのおにぎりからは、昆布がニョキニョキ外へ逃げ出そうとしていました。ひとりっ子で家事をせずに育ち、20歳で私を産んだ母にはそれが精一杯でした。

 中学生になり部活動が始まると、お弁当を作らなければいけない機会が増えました。初めて土曜日に一日練習があった日だったと思います。人生で初めて、私は自分でお弁当を作ってみることにしました。彩りが良くて品数の多い、ずっと憧れていた人に見られても恥ずかしくないお弁当です。あの日から十年以上経ちますが、いまだに何を入れたのか覚えているくらいそのお弁当は輝いていました。

 ハムとチーズを重ねて丁寧に丸め、最後に楊枝でぷすり。ハムチーズ巻き。茶色くならないように丁寧に丁寧に作った甘くて黄色い卵焼き。特売品で買ったそのスーパーで一番安いウインナー。冷凍食品の中で一番好きな占い付きミニグラタン。そして私の理想のお弁当にしてくれるのが、ポテトサラダでした。

 ハム、きゅうり、にんじん、チーズの入った、オリジナルだけどなんの変哲もないポテトサラダです。でもこのなんの変哲もないポテトサラダが、私のお弁当ではとても大切な存在でした。彩りの良さは憧れたお弁当の必須条件であり、赤青黄色が入ったこのポテトサラダは完璧に満たしています。汁漏れもしないし空いたスペースに自由自在に詰められるそれは、お弁当初心者である私の救世主でした。出来上がった初めてのお弁当はとてもキラキラしていて、憧れていたお弁当そのものでした。前日の夜に作ったのですが、しばらく冷蔵庫に入れられずに色々な角度から眺めていた程です。

Oisix(おいしっくす)

 そのお弁当で初めてポテトサラダを作ってから今まで、何度も何度も作ってきました。けれど何度作っても、あの日のポテトサラダを超えることはありません。今考えると、母には申し訳なかったなと思います。料理が苦手なりに私のために作ってくれていたことには友人の母親と変わりありません。むしろ自分がお弁当を作ってあげる側になった今、彩りの良い友人たちのお弁当よりも茶色一色の焦げた卵焼きが入っているお弁当の方が愛情を感じる気もします。

 あの日のポテトサラダを超える日が来るとしたら、それは娘に作ってもらったポテトサラダを食べる日かもしれません。その日が来るまで、これからも私はポテトサラダを作るたびに母の愛情を思い出すでしょう。

統合失調症とギャンブル依存症の子

はじめまして。

他の方のブログもまともに読んだことがない

のにはじめましちゃったゆきだいふくです。

はてなブログのことほんとのほんとになんにも分かってません。

書く前に調べろよってな( ◜ω◝ )

なんて言うんですか、このブログ?記事?は

どれくらいの長さで書けばいいんですかね??

なんかiPhoneで打ってるから?

余白が広くてもう原稿用紙1枚くらい書いた気分です。

うわっ。

さかのぼってみたらまだまだ書き出しも書き出しじゃないですか。(さかのぼるまでもない)

はやく書きたいこと書こう。

…私の人生って、わりと普通じゃなかったんですよね。

普通なんて人それぞれ違うじゃんとか言わないでくださいよ?

文章考えるの、好きだけど得意ではないんです。

普段の会話なんてほんとひどいもんですよ。

主語がなかったりよくわからない言葉使ったり、

相手に伝わらない伝わらない。

ほらまたこうやって変なところで話膨らませようとしちゃうでしょ?

またその話もあとで書きたいですね。

たぶん私のことなんでこれも続かないと思うんですけどね。あとで書くって言っておきます。

さてさてタイトルにある通りなんですけど、

私は統合失調症の母と、ギャンブル依存症の父の間に産まれました。

うーん、なにから書いていいかわからないですね。

ざっくりプロフィールでいっか。

母は20歳のときに5つ上の父と結婚しまして。

当時でいう「でき婚」だったので程なくして1人目が産まれました。これが私ですね。

髪がうっっすくてクリンクリンのベイビーでした。カワイイッ

…それから3つ下に妹と7つ下に弟がいます。

あっ今現在の私は20代のちんちくりんです。

ここまできてやっと自分の歳が言えました。

あと何文字書く気なんだ?

実年齢別に言ってもいいんですけど、個人情報はちょいちょいぼかしておこうかなって思います。

すみません本題に戻りますね。

母は父と出会い私を産んだあとに病気を発症しました。

統合失調症は精神病の中でもわりと有名ですよね。

…有名、ですよね…??

 

私が言っても信憑性に欠けるし、誤りがあっても嫌なのであまり説明したくないんですけど…

この病気、幻覚とか幻聴とかないものがあるように感じたりそれによってひどい被害妄想を起こしたりします。

って言っても想像するの難しいですよね。

またこれもあとで詳しく書きますが、母は何度か閉鎖病棟に入院しているのでわりと重いほうでした。

今は治療薬が進歩して通院治療で済むらしいので、入院までいってしまったのは時代のせいかもしれませんが。

そんな母を支えたのが父です。

と言いたいのですが、父は私が産まれる前からギャンブル中毒です。

ギャンブル依存症ですね。

父の場合はパチンコオンリータイプです。

長くなってきたので詳しくはここでは書きませんが、おそらく父は自分が依存症だとは思っていません。

父は昔ながらの亭主関白昭和親父なので、私たちは父に指摘することができなかったのです。

でも母はなんだかんだで父のことが好きなので、母が病気のとき父に支えられたのも事実です。

そう、やっかいなんですよね。うちの家族。

こうゆう「AだけどB」っていう事案が結構あるんです。

例えば統合失調症の母もまた、パチンコが好き。とかね。ははっ

みなさん知ってますか?

統合失調症ギャンブル依存症の子供で尚且つ兄弟の1番上の子って、ストレスで統合失調症になる確率が高いんですよ。

本当かわかりませんけど、身長の遺伝率より精神病の遺伝率のほうが高いというデータも見たことがあります。

やだなんか暗い話になってきてます?

なんか暇なときとかにフラットに見れる記事にしたかったんですけどね( ◜ω◝ )

あとは、もし私みたいな境遇にいて苦しんでる人がいるならその人に知ってほしいんですよね。

私もいるよ。って

高校生のとき本屋さんでなんとなく

おもしろ苦労話漫画みたいなコーナーをみてたんですけど。

そこにたまたま、「統合失調症ギャンブル依存症の子供は統合失調症になりやすい」みたいな本をみつけて。

私、「1人じゃないよ」って言われたわけでも言われたいわけでもなかったんですけど、嬉しかったんですよね。

あっこの人私と同じだったんだ〜って。

だから私のこの記事も、似た境遇の子がなんとなく見つけてなんとなく喜んでもらえたらいいなと思います。

単純に大人になっても抜けない毒を抜きたかったっていうのもあるんですけどね。

過去に家庭環境に問題があった人って、大人になってその原因の親とか家族と離れてても家庭コンプレックスみたいな感じでずっと引きずってたりしますよね。

私がそうなんですけど、もう家を出てだいぶ経つのにいまだに些細なことをきっかけに実家の家庭環境で悩んだり考え込んだりしちゃうんです。

でももう嫌なんですよね。きちんと過去の人生を受け入れて前に進んでる人もいるのに私は子供のまんまで。

私は長女だったので甘えられなくて、親にも周りにも言いたいことを言わずに育ってしまったんですよ。

だからまだ私は聞いてほしいんだと思います、私の人生はこんなんだったんだよ、って。

こうゆうのに書けばスッキリする気がして。

私のためにも周りの人のためにもなる気がしたんです。

なんかいい事言おうとしてるみたいで嫌ですね。単純にブログというものにもともと興味もありました。

 

自己紹介のつもりがよくわからなくなってきたので、なんとなく終わりにしてみます。

 

途中クシャミする度に集中力が切れて心折れかけました。あと後半ちょいちょい寝落ちしかけてますがなんとか書けました。寝ぼけてないか心配です。